さて、皆さんは……
友引の日に葬儀をしてはならない
こんなフレーズを聞いたことはありますか?
友を引き連れて行かぬようにという意味。
これを直訳すると、友引の日にお葬式を行うと、まだ生きている人まで一緒にあちらの世界へと引っ張っていってしまう。
ということなのだが……
これは果たして本当なのだろうか?
迷信の臭いがプンプンしてきますね。これははっきりいって迷信以外の何でもなく誤りであり、間違った考えである。
というのが結論。
さて、中国の暦に『六曜』というものがあります。
●先勝
●友引
●先負
●仏滅
●大安
●赤口
友引はこのうちの一つですが、中国ではこの『六曜』とは、戦国時代に使われた一種の占いとされています。
当然のようにご存知の方もおられるでしょうが、友引には引き分けという意味があり、勝負事は避ける日とされていた説もある。
このように中国の本来の六曜の意味でさえ『友をあちらの世界へ連れていく』という意味は全く含まれていないのです。
しかも六曜は仏教とは全く関係がないので、もはや完全なる迷信と言われても仕方がないのです。
[Wikipediaから一部抜粋]
陰陽道で、ある日ある方向に事を行うと災いが友に及ぶとされる「友引日」というものがあり、これが六曜の友引と混同したと考えられている
とあります。当て字である六曜がもし『共引』とされていればこのような迷信は生まれなかったかもしれませんね。
これは、間違いなくあまりにも安易な考えの結果の元、生まれた迷信なのである。
「友」を「引く」から葬儀はやめよう。
文献では19世紀ごろからこの常識が全国的に広まり、幅広く信じられてきたそうです。
つくづく、無知って怖いと思い知らされますね。
年配の方に限らず、友引の日に葬儀をするなんて非常識だ!とか、友引の日に葬儀をするのは良くないんじゃ…?など、若い方にしてもこのどこかで聞いた単なる迷信を恐れて葬儀担当者に聞いてこられます。
はっきり申し上げます。友引に葬儀をしたからといって友を連れて行かれるなんてことは決してありません。
しかし、それでもご自身で心配される、もしくは周りの目が気になるという方はおられるでしょう。
気になるというのもその方の真実ですから、どうしてもの時は友引きを避けて葬儀を行えば良いでしょう。
迷信を疑う者、信じる者の両者がいる。こういった背景はあるが、現代では友人形というものをあえてお柩の中の見えるところに入れてまで友引き葬儀を行うことも増えてきています。
友人形を入れるのは生きている人を引き連れて行かないで、その友人形を連れていってくださいね。(身代わり)という意味があります。
本来必要のない友人形ですが、どうしても気になるという方は葬儀屋さんで購入出来ます。しかし自宅にある人形、故人のお気に入りの人形を柩に納めるでも、普通の葬儀屋さんならOKです。(人形の素材による)
ですが、正しい知識を得た上で、一人でも多く友引なんか関係ないという強い意思を持って葬儀に挑める方が増えることを願っています。
友引きの迷信による弊害
友引きの迷信があることによって、引き起こされているとんでもない弊害の話。
普通なら葬儀の準備に丸一日をかけて、翌日に通夜、翌々日に告別式という流れが一般的だと思いますが、例えば……
●友引きを気にする親戚がいる。
●自分が友引きを気にする。
●葬儀社が友引きを気にしたほうがよいも言う。
●友引きに斎場が休みだと言われる。
(公共施設である多くの斎場も友引にかこつけて休刊日としています。職員の休日も必要ですが、あえて迷信である友引を選んでいる)
以上のような理由から、友引きを避けて葬儀を行うことにした場合。
●死後間もなく(当日など)ろくな準備も出来ず通夜をすることになった。
●親戚らも急遽通夜になったので来てくださいと言われる羽目になる。
●翌々日に通夜が引き伸ばされた。
●通夜が伸びた分、2.3日遺体を置くことになり安置場所の確保にお金がかかった。
●通夜が伸びた分、線香ろうそくなどの寝ずの番が何日か続き心身共に疲れた。
●日が伸びた分、故人様の保存のためドライアイスの交換に追加料金が加算された。
●日が伸びた分、状態の悪化が進み化粧の手直しが必要になって追加料金が加算された。
などなど、こういった弊害が実際起こっているのを目の当たりにしています。
単なる一つの迷信で、こうまで周りが振り回されるなんて……
なんて『本末転倒』なのだろうと思わざるを得ない。
不幸を続かせないために
お葬式ってそもそも、故人を偲び、寄り添い、感謝と労いの気持ちを胸に送り出すひとつの儀式だと思うので、誤った迷信などきっぱり否定して、余計な労力や無駄な負担は省くべきだと思います。
葬の助のようにこういう仕事をしていると、実際昨日に引き続き連れ合いの方が亡くなった。とか、先月家族の1人が亡くなったのに続いてまた家族が亡くなった……とか、毎年悲しみごとが続いているなど。
そういうこと、実は正直言って多くあります。
なぜか『不幸が続いている家』っていうのも体感として実際に多くお見かけするのです。
かといってそれが全て友引きの日に葬儀をしたからこうなったという訳ではありません。友引きに葬儀をしていなくとも不幸の連鎖が起きていることはあるんです。
人が亡くなると家族の心のケア(グリーフケア)が必要と言われるほど、人の命に対して『人』という生き物はデリケートなもの。
かけがえのない大切な人の最期を迎えてしまった方にとって、生きる力が弱くなってしまう事は当然といえば当然ではないだろうか。
何より大事なことは
不幸が続くと思わないように
不幸が続かないように
遺された人が追わないように
遺された人が強く生きるために
どうか迷信などに負けず生きてやりましょう。
ということではないだろうか。
その他の関連する記事はコチラ
■法事・お悔みごとなど場面に合ったお供え物を贈ろう・お供え物の本当の意味とお供え物に適さないもの
■湯灌の名残「沐浴人(もくよくにん)」とは?・古い風習としきたりは守るべき?
■孤独での最期と『村八分』の言葉の中に見る現代葬儀の形とコミュニティの大切さ
■死後iPhoneの指紋認証どうなる?残されたスマホ(スマートフォン)の解除について考える
▼▼▼祖父、孫、先祖、家族のルーツ……お墓でつながりを大切にしよう。